「反魂香」の魅力

反魂香、おかしくて寂しくてジンときて、とにかく好きな噺です。

先立った女房を想う後半は、重たくやろうと思えばいくらでもじっとり重くなりそうですが、軽くやるのがやはり落語の美学なのでしょうか。しかし、その諦めを伴った軽さのなかに、却って女房を想う気持ちが強く染み出ているように感じます。女房に想いを馳せるパートは演者それぞれの馳せ方で、女房の幽霊がどんな風に現れるのか、という想像も含め、演者が人を想うときにどういうところに着目するのか、という違いが出ていて面白いです。

女房への愛情を吐露するという点では替わり目にも通じるところがありますが、いま現に生きている女房に対するそれと、先立ってしまった女房に対するそれでは大きな違いがあると思います。噺の後半は、女房にもうすぐ会える、という八っつあんの期待が推進力となっていますが、そこで独り言として染み出しているのは、不在である女房に対する想いであって、たとえば、生き返り再会する存在としての女房に対するそれではありません。女房に対して焦がれつつ諦めつづけてきた男の思考であり、そこに強く寂しさを感じます。そもそも、亡き女房の幽霊を呼び寄せるために深夜にひとりトライし続ける、という行動自体、おかしくもとても寂しい感じがします。おかしさがベースにあって、寂しさと諦めが、落語の持つ軽さとして昇華されているのが、反魂香の後半シーンであると感じています。